マイクロソフトでは出会えなかった天職

NPOroom to read」のCEOジョン・ウッドの起業物語。ジョン・ウッドはマイクロソフトでエグゼクティブとして成功を収めながら、ネパール旅行をきっかけに途上国の発展のために、人生の方向転換をした人物。この前の日記で紹介した「裸でも生きる」を読んだ後にセットで読むとより深く途上国の現実を知ることができ、そして、やる気が沸いてくる。「裸でも生きる」が起業物語に特化したがために、援助の本当の部分が伝わりきれていないところをこの本は補完してくれる。

ジョン・ウッドは、マイクロソフトでの経験が大きいため、理知的で現実的で、そして行動力がある。営業マンとしての役割を果たすこと、大きく考えること、具体的な数字に基づくこと、メンバーに忠誠心を持つこと、この4つはマイクロソフトから得た大きな教訓なのだと思う。マザーハウスの山口さんは見ていると危なっかしいところがあるが、ジョン・ウッドはそんなことはない。ただ二人の共通点は、行動力がある、というところだけだ。行動力がある、と簡単に言って良いレベルではない。行動力がありすぎる。

「われわれのチームは途上国の地域社会と協力し、共同出資モデルをつくって、学校や図書館、パソコン教室、女子への長期的な奨学金など新しい教育インフラの創造を媒介する」
ビルの大声がとどろいた。「これはいい。共同出資はまさに理にかなっている。私がUNDP(国際開発計画)の総裁を務めていたことは知っているだろう?私はかねがね、援助計画を成功させる唯一の方法は、地元の住民にも労働力と少額の資金を提供させることだと思っていた。そうでなければ援助は無償の贈り物にすぎず、当人たちにも失うものがないから、プロジェクトの価値を誰も認めようとしない。

よりたくさんの学校と図書館を建設する資金を集めるために、これからも僕は何でもする。ただし、ほかの慈善団体が実際に成果をあげているひとつの方法だけは、意識して避けている。僕が「泣き落とし作戦」と呼ぶものだ。
世界に貧困があることは誰でも知っているし、ほぼすべての人がそのことを悲しんでいる。一部の慈善団体は、ハエにたかられた子供や、土ぼこりの中に横たわっている栄養失調の家族の写真を見せると、寄付金集めに効果があると考えている。実際にそうした活動をしたセレブもいるが、僕に言わせれば、哀れみを利用して寄付者に懇願することは、貧困者をおとしめることになる。そのような写真を見せることは人間の尊厳を否定している。罪悪感をマーケティングに利用してはならないと、僕は思うのだ。

上記に引用した2つの考えは、「裸でも生きる」のマザーハウスにも共通する部分がある。
バングラデシュ現地での生産、現地の人の雇用に貢献し、労働力の対価として、給料を支給する。そして、バングラデシュで製造したということや、貧困への援助という形でマーケティングするのではなく、そのファッションとしての商品力で勝負する。


「本を読んだ」という記録だけで終わらせたくないから、とりあえずの手始めとして、マザーハウスのバッグを買いました!けっして、同情からではなく、日常に利用するものとして、行動力を見せたい。