今を生きることの難しさ

1時間、1分、1秒というのは絶対値でみると、同じ時間でしかないのだけれども、感じ方は人それぞれだし、年齢によっても違う。
例えば、1歳になったばかりの人は、1日は自分の人生からすれば365日の中の1日だし、25歳の人は25×365日(=9125日)の中の1日に過ぎない。分母で見ると、1日の価値が非常に薄く、正確に言えば25倍に薄められてしまう。


わたしたちは過去や未来を生きているわけではなくて、今を生きているわけだから、本質的には分母の時間を基準に考えてしまう。7日間しか生きられない蝉はその日数で一生懸命に生き、人間は80×365の日数の中で一生懸命に生きる。
これはよほど意識しないと、一生懸命さが分母の日数に分配されてしまう。人生を振り返ったときに一生懸命やったと言う時の密度はどれくらいだろうか。
人生を振り返ったときの一生懸命は、一日一日の積み重ねの一生懸命だろうか。さぼった日もあるんじゃないだろうか。本当は一日一日を一生懸命に生きたいのに。

今を生きる

「今を生きる」言葉にすると簡単だけど、ものすごく難しい。一生懸命生きることをどれだけ毎日意識できるか。一生懸命生きることをサボる日をどれくらい少なくできるか。
「今日も一生懸命生きるぞ!」と毎日思い出すためのlifehackを模索している。

最近、わたしが特に意識していることは、毎日日記を書くことである。このオンライン上の日記と、オフラインである手書きの手帳の双方について書く頻度を上げている。