ねこらしさと自分らしさ

国際情報屋には、猟犬型と野良猫型がいる。
猟犬型の情報屋は、ヒエラルキーの中で与えられた場所をよく守り、上司の命令を忠実に遂行する。全体像が分からなくても危険な仕事に邁進する。野良猫型は、たとえ与えられた命令でも、自分が心底納得し、自分なりの全体像をつかまないと決してリスクを引き受けない。独立心が強く、クセがある。しかし、むずかしい情報源にくい込んだり、通常の分析家に描けないような構造を見てとるのも野良猫型の情報屋である。


私は諸外国の野良猫型情報屋から多くのことを学んだ。野良猫型だけだと組織が機能しなくなる。猟犬型だけでは、組織が硬直と緊縮を起こし、応用問題に対応できなくなる。結局、両方が必要なのである。
全体として見れば、国際情報屋は、猟犬型九割五分、野良猫型五分くらいに分かれる。


組織にはいろんな人が必要なんだと思う。いや、そもそもの下地として、いろんな人を受け入れるキャンバスが必要なんだと思う。
組織には猫を排除しようとする人もいる。ただ、猫にも猫で戦略がある。野良猫として生きていくのが難しければ、飼われた猫だっていい。飼われた猫だって爪はとげる。

いや、ねことしてしか生きられないんだ

ねこにっきとはよく言ったもんで、間違いなくmaki_laxいぬにっきじゃない。自分がいぬになれないことも重々承知している。ねこは少数派だし生きていくの厳しい、結局トップに立つのはいぬの中の頂点なのかもしれないとも思う。


与えられた命令でも納得しないと進まない猫。言いたいことを言ってしまう猫。マジョリティの犬に言わせれば「言いたいことを言えて羨ましい」そう言われる。無論、そう思うのは構わない。そう思われるのは構わない。ねこは自分の中に多くのことを貯めないという点では良いのかもしれない。

ただ、そんな表面的なことで羨ましがられても困る部分もある。ねこも大きなリスクを取っている。いぬよりもリスクが大きいのではないか。ねこだからこそ悩むことも多い。人に発散できないねこ特有の悩みもある。いぬのように邁進したいときもある。