交渉人真下正義

週末に交渉人真下正義を見たので備忘録がわりに感想を書いておきます。

2004年のクリスマス・イブの日に、東京の地下鉄の最新鋭実験車輌が(通称クモ)が乗っ取られ、乗降客200万人の命が危険にされされるハメに。その犯人からの指名もあり、警視庁初の交渉人・真下正義が奮闘する!
国民的シリーズにまでのしあがった『踊る大捜査線』のスピンオフ作品第1弾。シリーズではコメディリリーフだったユースケ・サンタマリア演じる真下だが、この映画における真下はやばいくらいにカッコイイ。また未曾有の地下鉄パニックシーンや、さらに爆弾をも仕掛ける巧妙な犯人の手口、外で犯人を探す刑事たちの奮闘などがクライマックスへと集約していく様は手に汗を握らずにはいられない。『踊る』シリーズを見ていない人にも十二分に楽しめる、パニック・サスペンス映画として実によくできた作品だ。観て損なし!(横森文)

踊る大捜査線のスピンオフと言う通り、踊る〜とは異なったテーマで作られた映画だと思う。
踊る〜シリーズは組織の目的と個人の正義が対立軸にあるときの葛藤を描いた奥深いシリーズであると私は思っている。
現場の人は「事件に大きいも小さいもない」というが、組織の上層部は大きな事件を優先する。こういう問題は非常に難しくて、「小さい事件を優先したために、大きい事件を解決できなかったらどうするか?」という問題への答えはない。大きい事件が解決できなければ叩かれるのは組織全体であり、枝葉の個人も当然叩かれる。小さな事件と隣り合わせにある市民からも結局は叩かれるのだ。

翻って、交渉人真下正義のテーマは「デジタル世界への警告」である。


ネタバレ承知で書くけれども、地下鉄の最新鋭実験車両を乗っ取ったのはただの時限プログラムであり、それに対して真下交渉人が最新鋭のコンピューターと学問化された交渉術で挑むが、結局は真下交渉人はデジタルの力だけでは勝てず様々な人のアナログな力を借りて事件を解決する。
もちろん、犯人は車両を操っただけではなく、爆弾を仕掛けてもいるのでコンピューター以外にも動いていた人物がいることは確かなのだが、その部分については映画では語られることはない。真下交渉人のコンピューターは離された音声をその場で解析・検索する考えられないほどの高度なコンピューターであり、交渉術は「ああ言えばこういう」が徹底された素晴らしい学問である。
しかし、どんなに優れたデジタルでもいわゆるアナログには最後勝てない。列車の時刻表を決めるおっさんや「勘だよ、勘」と言って現場の捜査をするおっさん。この人たちがいなくては解決できなかった。プログラム自体もコンピューターを操る真下自体もアナログの力に完敗するしかなかった。

つまり、この映画ではアナログをヒーロー視することで「デジタル世界への警告」とみなしているのだ。


実際問題、どんなものに時限プログラムがセットされていてもおかしくない。意図しないものでいえば2000年問題があるし、何年何月何日に発動するプログラムを組むことはプログラマーなら比較的容易にできそうである。アナログではできっこないことも事実である。これは人の倫理観に基づいているものだったりもするのでどうしようもないものと言えばどうしようもない。映画上でも時限プログラムについて語られる動機は、「自分の力を誇示したかった」というものである。


実は「デジタル世界への警告」について、これといってまとまった答えを持っているわけではない。デジタル世界とどう付き合うかってのは人間のこれからの課題だし、永久的な課題になるのかもしれないとも思う。とりあえず言えるのはコンピューターは神様じゃないし、全知全能でもないってことくらいか。マトリックスみたいになっても困るし(既にマトリックスなのかもしれないというツッコミは置いておいて)、攻殻機動隊の世界も困る。コンピューターと共生するにはまだまだ人間のほうが追い付いていないことは間違いないと思うよ。


あともうひとつ。「デジタル世界への警告」これは商業的観点から見ても正解で、いわゆるアナログ世代の年配者を引き込む要素としては十分すぎるほどである。「アナログな昔は良かった」と懐古する高齢者も多いだろうなー。これ蛇足でしたね。