社会学最強論〜ウェブ時代に社会学部に入学しよう

この記事にこんなにもはてブがつくのは意外だが、それは日本がまだ思考停止していない証拠だろう。

なぜオウムのドキュメントがテレビで放送されなかったのか

 なぜオウムのドキュメントがテレビで放送されなかったのか。「A」の感想で一番多いのは、「オウムの信者があんなに善良で優しくて純真だと知らなかった」というもの。しかし、これではダメ。メディアがオウムを語るときの論調は、凶暴・凶悪な殺人集団。もう1つは、麻原に洗脳され自分の感情を失ったロボットのような集団。このどっちか。それ以外、語れない。かれら信者が善良で優しいというと、えらいことになる。でも事実。現場のディレクターはみんな知っていた。僕らと彼らは変わらない。だから彼らは人をたくさん殺した。

不安と恐怖が高まると二元化が進む。
左か右か、前か後ろか、善か悪か、自衛か侵略か、どっちかじゃない、自衛もあれば侵略もある。矛盾が人間であり、現象であり、営みだ。だが、矛盾に耐え切れない。メディアがそうなってしまう。わかりやすく、とことん二元化する。その方が数字が伸びるから。メディア自体は日本を右傾化しようという意図はないが、結果としてそうなる。

宗教がもつリスクとセキュリティ。この2つが重なってオウムはあの事件を起こした。
残念ながら日本社会は凶暴・凶悪・マインドコントロールというレトリックでしかオウムを消化できなかった。メディアはそういう形でしか提示できなかった。

とりあえず、3つの文章を引用したけど素直にリンク先を読もう。

わたしは森達也のやってること、これこそが社会学の醍醐味だと思うし、真髄だと思う。


社会学

社会学って言うのは、今私たちがいる社会で起こっている出来事についていろいろな角度から「あぁじゃないか、こうじゃないか、こう考えられるんじゃないか」意見を出していく。もちろん、そこには聞き込みなどの調査による裏づけも必要だし、行う。

そして、答えは出ない。

科学には実験結果という答えがあるかもしれない。経済学には実際にその理論を実行してお金持ちになれるという答えがあるし、経営学には実際に経営理論を実行すれば答えがでてくる。


社会学には答えがない。


走り回って聞き出した声がある。ただそれは声でしかない。
社会学部の論文は簡単に一文で言うと以下なのだ。

「わたしはこの出来事は、このような社会情勢の背景があって起きた、起きるべくして起きた出来事だと説明できる。」



私の言う「答え」というのは、「こうすればこの出来事は起こらない」という結果のこと。「こうすればオウム事件は二度と起こらない」「こうすれば食品偽装は起こらない」

その答えは出ないんだよ。自分ひとりで出せる答えじゃないから、人を動かさなきゃ出せない性質の答えだから。

人を動かす、社会を動かす

わたしは「人を動かす、社会を動かす」これこそが社会学の醍醐味だし、真髄だと思う。
森達也はリンク先にも書いてあるとおり、マスメディアからは排除された。ただ彼は「人を動かす、社会を動かすこと」を諦めてはいない。地道な執筆活動やポッドキャスト=森の朝ごはん(※愛聴していたのだけれども10月に終了しちゃった)、今回のような小さな講演、、、彼は動かそうとしているよ。

そして、この講演についてのひらのゆきこさんの記事は多くの反響を呼び500以上のはてブを得た。(まつもとゆきひろさんのblogで取り上げられたと言うことも大きな影響だったのかもしれない。)本当、こういう文章こそyahooトピックスに載るべき文章だとも思う。


わたしはこの森さんの講演の文章を読んで、自分が社会学部を出たということを今ひたすらに嬉しく思っている。体育会に入ってたが故に(←体育会が全てそうだとは一言もいってない。)正直言ってろくに授業も受けていない。だが、居眠りをこきながらでも、一つの社会をいろんな角度から見てきた、いろんな社会を一つの視点から見てきた。

社会学とウェブ時代

少し言い過ぎになるのかも知れないけれど、これからの世の中で必要なのは社会学部ではないだろうか。最近、顕著に問題視されているメディア。TBS八百長問題、アサヒる讀賣の大連立&リーク、、、。
マスメディアが自分たちの都合の良いようにやっていることは明らかになってきたんじゃないでしょうか。

社会学は、いろんな角度から社会が見れる学問です。いろんな角度から社会を見ていく学問です。

もちろん、メディア論なども勉強の対象です。それらを勉強することで「あー讀賣は、昔からたいていこういう論調で文章書くよね。多分こういう裏があるよね」という角度からニュースを見ることもできます。
最近の(耐震も食品も含め)偽装問題だって、経済視点や教育視点、家庭視点、地域社会視点、などいろんな角度から見ることが可能です。



社会学は結果が出ない分、実学じゃないと言われることもあります。しかし、ものは使いようです。梅田望夫さんもウェブ進化論で総表現時代と述べたりしていましたけど、今の時代にはブログがある、SNSがある。

つまり、あなたも社会学によって「人を動かす、社会を動かす」ことができる。
新聞への投書などかつてはそうはいかなかったものが、総表現時代→ウェブ時代の到来によって可能になった。


それこそ「ウェブ時代をゆく」ために社会学を学ぶのはどうだろうか?と提言したい。総表現時代だからこそ埋もれてしまう個もある。そうしたなかで、社会学という学問に根ざした客観性や多角度な鳥瞰的な視点は重要になってくるのではないだろうか。

小さな個が社会を変える。
「人を動かす、社会を動かす」これは社会学のキーワードだ。いや、このキーワードはウェブ時代に最も適したキーワードではないだろうか。