なぜ3年目で辞めるのか?に3年目が答える

あ、↑があります

自分が何年目だから・・・、まだ○年目だからどうだ、とかそんなこと一度も意識したことがない。
もともと年功序列とか意味わかんないと思ってたし、言われてみれば、当時はぜんっぜん何も考えてなかったけど、中学生のとき「社長になろうぜ」って友達と言い合ったこともある。言い合った友達は、、、あいつ今、鳶職か。。。てかまじ、それはねーだろ、おいおい。何気ない会話だったけど、おれはぜんぜん忘れてないんだけど。どうする?そろそろ社長にでもなっちゃおうか?


ただ、主観の問題はさておき、客観的に見ればわたしはまだまだあまちゃんの社会人3年目なのだ。



会社を辞めることを考え始めたのはもちろん自分の会社が無くなると聞いたあの日からだろう。あの日からわたしは軽いトランス状態に陥る。そう、どこか意識が飛んでいた。過去と現在と未来が頭の中で常に交錯する状態、そして未来は真っ黒な煙立ち込める闇、いや、一歩踏み出せば自分の足跡が黒く液状になりそうな真っ白すぎるキャンバスのような感覚。


こんなにも未来のこと、いや将来のことについて考えたことはないかもしれない。そう去年の秋、感触のない海を必死に泳いでいた。ラクロスもそれに釣られて絶不調になったし、残りはプレーオフだけだったと言うのにいわゆるサボりもした。飲みに良く回数も増え、また二日酔いで会社に行くことも多くなった。今まで意義を感じながら、目的を考えながらやっていた仕事も、たんなる作業としてしか考えられず、ほとんど成長もなかったと思う。ミスさえしなければいい、そう思っていた。


なにもかもつまらなかった。



でも、あるときふと思った。


それは与えられた未来でのことだろう?と。


多くの人は人生が与えられていると言うことに、気づいていて気がつかない振りをしているのかもしれない。でも今の世界はマトリックスの世界じゃない、そう信じたい。

人生を楽しんでいる人は結構いる。わたしだって人生は楽しい。もがいているときだって、どこかこれが後で振り返るといい経験だったって言うんだろうなって思いながらだった。毎日毎日楽しそうな顔をしている人がいる、わたしだって実際毎日楽しい。
苦しい時だってこれが経験になると思えば、何でも乗り切れる。人間は根っこの部分はプラス思考なんだと思う。人間って、過去を振り返るとあれもこれもいい経験だったって言う生き物だから。過去を美化してしまう生き物だから。



過去にはいい思い出しかない。そう、思ったら一歩、いや二歩でも三歩でも自分の敷かれているだろう今のレールから外れてみたくなった。結局はどんな選択をしたってレールはレールなんだ、敷かれてしまうもんなんだって考えたときに、いや、過去はどちらにしてもいい思い出になるもんだ、って考えたら人生のもったいなさについて気がついた。気がついてはいけないものに気がついてしまった。


今年中に会社を辞めよう。いや辞める。これはwantじゃなくてむしろmustだ。



それがわたしにできる、考え得る唯一の選択だから。さいわいなことにわたしには身体がある、頭がある、ツキがある、先立つものがある程度ある。

いろいろな人がいろいろなことを言うことは分かっている。会社の先輩もいろいろなことを言うだろう。でも、そんなことに耳を傾けるわたしじゃない。だってそれはあなたの美化された過去からでてきた言葉だから美化されているに決まっている。
自分の人生は自分で決める、わたしの好きな言葉だけどホント難しい。それは本当に自分で決めたの?って聞かれると難しい。全ての選択にはきっかけがあるから。


とりあえず、もう出かけなきゃいけない時間なのでこのエントリーを強引に締めようか。
そう、今日はエイプリルフール。まじめな話に見えて、そんなことをうそぶいた。まさによく読んでみると、矛盾だらけ。もう自分でも分からない。