丸くなる私、小さくなる私

「会社に入って丸くなったな」と感じる。会社に入って一番身に着いた力はこれかもしれないくらいだ。
自分自身の意見を隠して、他人に迎合し、話を合わせる。相づちの打ち方やタイミング、知ったかぶり、わかったふり。その中でも、わかったふり→後日google先生→質問の組み合わせなど、自分なりに試行錯誤してきた。自分より目上の人に対しては、特に、だ。丸くなることで、世間の波を渡ってきた気がする。


しかし、丸くなるだけならまだしも、考えることを放棄し始めているのかもしれない。
嫌われないことを第一に考えるあまり、相手の意見を受け入れることで満足し、「自分自身だったらどうするか、どう考えるか」を深く考えなくなっているような気がする。

つまり、嫌われないこと、がいつの間にか、考えない、になっている。
相手があるが故に、間違いを恐れているではなく、そもそも、考えることを放棄している。自分自身の意見を述べる恐怖ではなく、そもそも物事を考えなくなって、自分という人間を小さくしている。


私は丸くなりたいわけでも、小さくなりたいわけでもない。

参考:価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習

卒業していく君へ。


卒業おめでとう。本当は面と向かって言ったほうが良いのだけど先生という立場だと私の発言が思った以上に重くなってしまうので直接君にはいえない。でも、君への言葉を一度形にしておかないと私の頭に一生こびりつきそうなのでここに書かせてもらうよ。


今年、君は卒論に苦しんだね。君が卒論に苦しんだ理由は自分でも分かっていると思うけど、常に外部に正解を求めたことにあるんだ。私が「どうして、それが正しいと思うの?その理由を教えて。」と聞くと、いつも君は表情を凍らせて黙ってしまったね。何度も何度も「研究には正解とか不正解とかない。誰も答えを知らないから研究になっているんだ。だから、自分の主張をとりあえず述べて、相手の反論が正しいと思えてから自分は間違っていたと考えれば良いんだよ。」と伝えたのだけど、最期まで君は自分の主張の正しさを自分の言葉で言えず、常に私の保証を求めたね。はっきり言ってそれが私にとっては本当につらかった。


君が雑談ならば私とも明るくおしゃべりできるのに、研究の話となった瞬間に凍り付いてしまうのは、雑談は自分の感情をベースに話せるので自信を持てる(自分の感情だもの、正しいも正しくないもない)のに対して、研究の話は自信がないからだよ。


どうして、自信がなかったのかといえば、たぶん、間違うことに対して恐怖をいだいているからだと思うよ。何で間違うことに対して恐怖を抱いているのかというと、まだ君には精神的な背骨が育っていないからだと思う。君は、自分の価値判断の基準を外部に委ねており、自分の内部にそれがない。君が自分の価値判断の基準だと思っているのは、外部に依存した「優等生な自分」「良くできる自分」という役に立たない基準なんだ。



続く