「忙しい」に全面抵抗する

忙しいという言葉が嫌いである。文字通り、予定が詰まって自分の時間が失われている状況も嫌いだし、漢字からくる意味の「心を亡くす」ということも嫌いである。もう一つ、無能の証明をしているような気がすることも嫌いな理由の一つだ。

忙しいというのは無能の証明に過ぎない

ふと思うんです、「私よりやるべきことが多い人はいるよね。そして、その中でも私と同等に、いや、それ以上に成果をあげている人がいる事実がある」と。そして、純粋に比較したときに「事実から見て、私は彼らより無能なのか?」と。

この事実と自分の感情に対して、どう向き合っていくか。そして、どう行動するのか。
真っ正面から現実に挑み、睡眠時間を削り対抗するのか、そして、打ち勝つのか。敗れるのか。根本的に時間の配分の仕方を変えるのか、やるべきこと自体を減らすのか、並行処理など方法論で勝負するのか。そして、打ち勝つのか。敗れるのか。
上に挙げただけでも、時間拡大、時間配分、作業減少、作業改善の4つの対策がある。MECEすればもっと出てくるはずだ。


忙しい、ということに対して思考停止しない、行動停止しない。停止した時点で、無能の証明をしたことになる。どんな対策でもいい、活動しないと、何も生まれない。活動して結果をみて、悪ければ異なる活動を選べばいい。これこそPDCAサイクルだ。絶対に活動を続け、無能の証明をしてはいけない。

忙しくない

まとまらない文章で悪いけど、何が言いたかったかと言うと、この文章は、自分自身に対して、今感じている危機感だ。
自分の言葉として、「忙しい」という言葉を使用しないように心がけてはいるが、周りから見てどうなのか。(人それぞれの言葉のていぎはあるにせよ、)「忙しい」と言われていないか?心を亡くしているように見られていないか?


今、私は非常に危機感を感じている。この今、感じている危機感をアウトプットしないといけない。それこそ、時間の少ない今、アウトプットしないと、自分はいつまでも変わらないんじゃないか。無能と感じてしまうのではないか。
他人にとっては、単なるくそブログのいちエントリーに過ぎないかもしれないけれど、今日、今ここでこの時間にブログを書いたことが、現状に対する私の変化の証明なのだ。危機感に対する対策なのだ。

「忙しい」に対して、全面抵抗してやる。