人を分類する
血液型の本が流行っているらしい。正直に言って、血液型占いだとか性格の傾向だとかにまったく興味はない。ただ、「人を分類するということは、上手く生きていくのにすごく大事なことではないか」と最近よく思ったりする。
「この人だったらこういう行動に出るだろう」「この人はこう思うはずだろう」というような他者に対する想像は多くの人が常日頃していることだろうと思う。身近な例でいえば「言うと思った!」とか「これすると怒られるだろうな」とかである。「あの人はああいう人だから」でも良い。人は意識的であろうとなかろうと他者に対する想像を行っている。おそらく、他者に対する想像についてのデータベースを人は脳の中に持っている。Aくんはこうだろう、B君はこうだろう、CさんはAくんに似てるからこうだろうというデータベースを。データベース - Wikipedia
データベース (Database) は、特定のテーマに沿ったデータを集めて管理し、容易に検索・抽出などの再利用をできるようにしたもの。 狭義には、コンピュータによって実現されたものを言う。OSが提供するファイルシステム上に直接構築されるものや、後述するデータベース管理システム (DBMS) を用いて構築されるものを含む。
先日読んだ本に、簡単な分類が載っていたのでメモ代わりに下記に転載する。この情報をたたき台・・・というか土台にして自分なりの分類を作っていきたいと思う。血液型なんてもんじゃない自分だけの分類を探していきたい。
ロイ・H. ウィリアムズ
古代ギリシャのヒポクラテスの時代から、人類の何百万種類に及ぶ個性は、四種の基本的資質のグループに分類されてきた。分析的思考に長けた資質、人を使うことに長けた資質、人当たりの良い資質、自己顕示欲の強い資質・・・(中略)
- 分析派は、正確さを求める・・・「事実を知らせてほしい」
- 実践派は、やり遂げることを求める・・・「この仕事を最後までやり遂げよう」
- 感情派は、受け入れあうことを求める・・・「皆友達になろう」
- 自己顕示派は、喝采を求める・・・「私に注目を」
個性をある種のタイプに分類すること自体は、これから先も決して科学になりえないだろう。とはいえ、この分類法は、他人の目を通して自分を見つめるのに役に立つ道具にできるはずだ。
これからわたしが人の顔をぼぅっと見ている時があれば、それは分類の整理中なのかもしれない。