短距離走と持久走の観点が必要ということかな

http://d.hatena.ne.jp/ss_kaze/20080531/p3

彼らが欲しいのはきっと「手ごたえ」です。やりがいです。実感です。それを、できれば今欲しい。いや、今じゃなくても構わないからできるだけ近いうちに欲しい。10年後じゃダメ。やってらんない。

なんで彼らがそう「せわしく」なったのかは僕にはよく分からないけど、彼らはとにかく自分たちの仕事の「結果」を早く見たいんだと思う。良い結果なら良いで満足するし、悪い結果なら自分たちでちゃんと創意工夫する。そのための努力も苦労も惜しまない。
そういった「手ごたえがあり、自分で創意工夫できる仕事場」彼らはそういう環境を欲しているのではないのだろうか。


誰かにやらされる仕事じゃなく
 自分のやるべき仕事をしたい


彼らにあるのは、おそらくそういった単純な労働意欲なんだ。


もちろん、皆が皆「自分のやるべき仕事」に就けるワケではない。だからそれを指して「何を甘いことを」を言いたい気持ちはよく分かる。しかし、その仕事が「彼がやるべき仕事なのかどうか」なんて、本人でさえ「やってみなけりゃ分からない」のに、やらせる前から甘いもヘッタクレも無いというもの。

だから経営者にとって望むべくは、「彼ら」を変えようとすることではなく、「仕事」のほうを「彼らのやるべき仕事」に変えてしまうことではないのだろうか。それはすなわち、「わが社」を彼らにとって、手ごたえとやりがいと実感がある仕事場にするということ。

ss_kazeさんからトラックバックをいただきました。ありがとうございます。
せわしい、という観点がなかった。言われてみれば、それはそう。仕事を彼らのやるべき仕事にする。短期的にはそれが絶対に必要。

ただむしろ、それはリーダーシップの問題だったりするような気がする。たとえば、「これ、ちょっと難しいかもしれないけど、お前に頼むよ」「この仕事は全体的にはこうで、お前は・・・」というような一言だけで少し解決されるような気がするんだ。せわしい人に、せわしいなりの仕事の結果を与えてあげることは、ある程度はできる。

「10年は泥のように働け」「無理です」――今年も学生と経営者が討論:IPAイベントにて - @IT

 特に「全体の完成、ゴールのイメージが沸かない」という声に対して、有賀氏は「若いうちは1つの仕事を与えられても、そこから全体が見えるようになるまでは時間がかかる。それでも、知る努力をしなければいけない」と主張。
また、「そうはいっても上の人が教えてくれないじゃないかという声があるが、こっちだって忙しい。聞きに来なさい」と回答すると、学生からは「できれば教えて欲しい」「自らポジティブなビジョンを提示する人の方がいい」「忙しいから聞きに来いという人に会社や社員がコントロールできるのか」などの反発も見られた。

企業がその努力をしていないことはこの記事を見てもわかるとおり。企業が受け身になっている。と、言うか、両方とも受け身じゃねーか、大丈夫なのか。


結局それは「馬ににんじん」でしか無いし、馬の足も疲弊してしまうような気がするんだ。たぶん、せわしい人はずっとせわしいわけじゃない。ふと、自分の歩んできた道を振り返ることもある。ふと、自分の先を行く先輩の姿を見ることもある。
「自分は手ごたえのある仕事をしてきた」「自分の仕事にはやりがいがある」それはもちろん、大事であって、自分から感じることもできるし、先輩から教えてもらうこともできる。


ただ、そうやって10年やっていったらどうなるんだろう。むしろ長期的なビジョンが足りないような気がするんだよね。短期的なビジョンで回していったとしても、ふと若者が先の未来を見たときに折れるようなことがあるんじゃないか、折れることが多いのではないか。
「泥のように働け」の誤用w※には目をつぶって言うけど、「10年泥のように働け」というのなら、10年先輩のロールモデルが必要なんじゃないのかな。10年後にぼろぼろな雑巾になっているようなところには行きたくないし、ひょっとしたら精神的に病んでいるようなところに学生は行きたくないでしょ。

と言っても、ロールモデルはそんなすぐにできるもんじゃないのは確かなのですが・・・。

※参照
泥のように働くとは - はてなキーワード