期待することのむずかしさ

はてなで話題になったコンプレックスの話。
わたしは天才じゃないし、天才なんて呼ばれたこともないし、id:shi3zさんの苦しみは表面上でしかわからない。
長文日記

正直に言おう。僕は20年以上の間、ひとつの強迫観念に侵されてきた。いまでも後遺症が強く残っている。このエントリは、僕の病理との戦いの回想録である。



僕が抱えている病理、名付ければ「天才コンプレックス」とでも言うべきものだ。

人は過去の積み重ねでできていると誰が言ったかは知らないが、真であるように思っている。
だからこそ、shi3zさんは否定するかもしれないが、天才コンプレックスは正の方向に働いている。今のshi3zさんがあるのはなんだかんだ言っても周りの人のおかげだよ。確かに、子供は過剰な期待に対しての免疫ができていないため、押し潰されるようなことがあるかもしれない。天才という言葉は期待をかける言葉としてはふさわしくないのかもしれない。天才っていうのは、過去の人に言ったり、結果に対して言って良い言葉なのかもしれない。

それでも結果論としてだが、shi3zさんはここにある。shi3zさんに関して言えば、本人は否定するのだろうが、後遺症も残っているのだし)、期待は適正量だったのかもしれない。


子供に対して「天才」と言っても良い、とは思わない。ただ、人に期待をするのは悪くはない。
人間は誰かに期待をかけて生きている。それは勿論、自分の子供であったり、親族であったり、友人であったり、はたまた自分であったりしても良い。誰かに期待することで生きていたり、自己満足しているのかもしれない。
「おまえはすごい」という周りからの声に感化されて頑張れる人もいる。「天才」と言われて頑張れる人もいる。


一方、その逆も然り。「天才」と言われて潰れてしまう人もいる。発現しなかったものに対しての言及はできないけれど、潰されたshi3zさんはこの日本に何人くらいいるのだろうか。
適正量の期待をするということは本当に難しいんだろう。「天才」という言葉は重すぎる言葉か。


わたしは天才じゃないし、天才と呼ばれたこともない。むしろ、人に対して「天才」と言っていた方かもしれない。その人の背景を全く見もせずに。。。わたしも誰かも潰したかもしれない。