自分が落ちていく気がする

あなたはやりすぎたんだ。仕事のためにいつのまにか線を越えていた。仕事は与えられた条件の範囲でやればいいんだよ。成果が出なくても。自分や家族の生活をたいせつにすればいいんだよ。

国家の罠』を読んでからというものの、この言葉が頭の中を巡りまわる時があります。
外務省という組織に所属し、国益を一番に考えてきた佐藤優氏。外務省は国益を考える組織でありながら、国益と外務省の利益が一致しないことが数々ありました。その時にどちらを優先するか。
会社も同じ。お客様のため、と口では言いながら、会社の利益を一番に考えなければならないときがある。お客さんの利益にならないと思っていながらも、行動しなければならない時がある。

その答えはどこにもないのかもしれない。


落とし所、という言葉があります。*1

お客様との落とし所、社内での落とし所、そして自分自身の中での落とし所。一番重要なのは自分との落とし所のような気がしている。
そして自分との落とし所を見つけるたびに自分を落としているような気がする。

国家の罠

「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作りだして、それを断罪するのです」


「見事僕はそれに当たってしまったわけだ」


「そういうこと。運が悪かったとしかいえない」


「しかし、僕が悪運を引き寄せた面もある。今まで、普通に行われてきた、否、それよりも評価、奨励されてきた価値が、ある時点から逆転するわけか」


「そういうこと。評価の基準が変わるんだ。何かハードルが下がってくるんだ」


「僕からすると、事後法で裁かれている感じがする」


「しかし、法律はもともとある。その適用基準が変わってくるんだ。特に政治家に対する国策捜査は近年驚くほどハードルが下がってきているんだ。一昔前ならば、鈴木さんが貰った数百万円程度なんか誰も問題にしなかった。しかし、特捜の僕たちも驚くほどのスピードで、ハードルが下がっていくんだ。今や政治家に対しての適用基準の方が一般国民に対してよりも厳しくなっている。時代の変化としか言えない」


「そうだろうか。あなたたち(検察)が恣意的に適用基準を下げて事件を作り出しているのではないだろうか」


「そうじゃない。実のところ、僕たちは適用基準を決められない。時々の一般国民の基準で適用基準は決めなくてはならない。僕たちは、法律専門家であっても、感覚は一般国民の正義と同じで、その基準で事件に対処しなくてはならない。外務省の人たちと話していて感じるのは、外務省の人たちの基準が一般国民から乖離しすぎているということだ。機密費で競争馬を買ったという事件もそうだし、鈴木さんとあなたの関係についても、一般国民の感覚からは大きくズレている。それを断罪するのが僕たちの仕事なんだ」


「一般国民の目線で判断するならば、それは結局、ワイドショーと週刊誌の論調で事件ができていくことになるよ」


「そういうことなのだと思う。それが今の日本の現実なんだよ」


「それじゃ外交はできない。ましてや日本のために特殊情報を活用することなどできやしない」


「そういうことはできない国なんだよ。日本は。あなたはやりすぎたんだ。仕事のためにいつのまにか線を越えていた。仕事は与えられた条件の範囲でやればいいんだよ。成果が出なくても。自分や家族の生活をたいせつにすればいいんだよ。それが官僚なんだ。僕もあなたを反面教師としてやりすぎないようにしているんだ」

*1:落とし所とは「対立する双方が受け入れうる妥協点」の意味