なぜ勉強するのか?

わたしは「なぜ勉強するのか」考えたことがない。そもそも「なぜ勉強・・・」という疑問が沸いたことがない。
新しい知識が増えることは楽しかったし、解けない問題があってもイライラせず「次こそは!」と一種のゲームのように感じていたんだと思う。つまずきはあったかもしれないが、勉強はそもそもなぜするのか論に矛先が向かわず、できない自分に矛先が向かっていたのだろう(そして、やり方がわかればできると思っていたんだろう、答えなんてどこかに書いてあるし)。他にやりたいことがあったときは勉強を後回しにしてたと思うし、ストレスを溜めなかったんだろう。

だから「なぜ勉強するのか」わかってもいないし、回答を持っているわけではない。自分の子供に聞かれたらどう答えるか・・・、「沈黙」である。「いいから勉強しろ!そんなもんに理由はない!」そんな答えをしてしまいそうな自分が怖かったりもする。

なぜ勉強するのか?: 薫日記

日本は世直しが必要だと思うが、「国家の品格」とか「美しい国」じゃなくて、鈴木光司さんの「なぜ勉強するのか?」でも読んだほうがずっとためになる。

生理的欲求

なぜ勉強するのか? -人はなぜ勉強をするのでしょうか?いい高校に入っ- 哲学 | 教えて!goo

生きている限り、学習には飽和点がないからじゃないですか?
その人が意識してるかどうか別にして、人間(に限りませんが)の一生って学習の連続です。学習しなきゃ生きては行けませんから。

だから、生きたいなら、勉強する理由を考えるのは無意味です。

たぶん、わたしの答えはこれに近いんだと思う。人間の生理的な欲求という答え。
疑問に対して真正面から受け止めない、逃げの答えなのかもしれない。「勉強=苦行」や「勉強が嫌で嫌で仕方がないんだ」という人になんの回答もしていない。
逆ギレするけど、理由を考えてしまう人は勉強の楽しさを知らずに育っただけなんだと思う。わたしは成績は格段に良かったわけじゃないからともかくとしても、楽しいかったから勉強に対して疑問に思ったことがないんだ。理由なんてわからないよ。生理的欲求でいいじゃないか。
社会人になってから、かなり勉強していると思うけど、別にキャリアを意識してるわけじゃない(勉強→キャリアは利用するものでしかない)。本を読むのは楽しいんだよ。学ぶ楽しさがまずあって、その後キャリアに結びつけばいいと思ってる。

勉強の楽しさを教える

もちろん、多くの人にそれが通じないこともわかっているつもり。だから勉強したくなきゃしなきゃいいし、勉強はしたいときにすればいいと思う。だからこそ、私の答えをまかり通すには「勉強の楽しさ」を教えるしかないとも思う。
最近、勉強本が流行っているけど、そもそものタイトルは年収○倍UPとか、効率〜とか人生勝利〜とかそんなんばっかりである。でもね、ストレートに言うと、こういう勉強本を書くような人たちは、そもそも勉強が嫌いじゃないんだと思うんです。生理的欲求+キャリア志向があわさったような人たちだと思うんです。彼らはわかってて書いてるんです。キャリアとか年収とか魅惑的な言葉を使って、勉強の楽しさを教えてくれようとしているんです。

だから根本的に言えば、キャリアどうこうじゃなくて、そもそも学校で勉強の楽しさを教えないと駄目なんだと思う。つまずいた子を見つける力、どうしたらつまずかない子を作れるか、そしてできる子を先に進めてもいいと思う。均一のペースにすることでいろんな子の欲求を剥いでいるよ。
勉強が嫌いな人ってたぶん小さい頃に勉強の楽しさを知らなかった教えてもらわなかったからだよ。

「なぜ勉強するのか」に答えるよりも大切なこと

2008年2月15日に「新学習指導要領案」が文部科学省から発表された。
文部科学省 学習指導要領案 - Google 検索
日本の子供の学力が下がってること等を背景にして「脱ゆとり」とかいろいろ言われている。学力世界一位のフィンランドは、そもそも現在のゆとり教育日本よりも授業時間数は少ないらしい。(それを真似して最近ではフィンランド式学習を取り入れている学校が増えている。)

指導要領や勉強の方法論はともかくとして、まずは親が率先して勉強の楽しさを教えてみたらどうだろう。
勉強を一緒にしてあげる。問題ができたときは一緒に喜んであげる。ご褒美をあげてもいい、勉強の楽しさを教えてあげようよ。脳を活かす勉強法じゃないけど、脳にも楽しさを教えてあげないと!面倒くさいは禁物。子供に教えるには自分も勉強しなくちゃいけないし、時間もかかる。つらいかもしれない。でも、子供とふれあうの楽しいよ、勉強も楽しいよ。