受チュー!
とりあえず、言っとこ。受チューしたよ。
最後の詰めのところ、私一人で行くことになってしまったんだけど、何故か自信満々でした。良い意味でも悪い意味でもいつもの根拠のない自信でてました。旅立つ時の一言は「いってきます」じゃなくて「じゃ、注文もらってきます」ですから!
受注と売上
「ありがたや、ありがたや、頭向けて寝られません」とは思うんだけど、「思う」だけなんだよね。正直なところを言うと、実感がない。ありがたさをあまり感じない。嬉しさもあまりない。
やっぱり、売り上げてないからなのかな。
「注文するよ」っていうのは、やっぱりまだお客さんは使ってないからありがたみはほとんどないよね。売上よりも受注がほめられるのもよくわかんない。営業会議でも受注のほうに重点が置かれる理由が良くわからない。
自己満足、社内満足じゃないか。
結局、受注までのプロセスは楽しさがあるからまだいい。だけど、楽しさだけでやっていたら受注後どうするの?よく考えてごらんよ。受注後に起こるトラブルって自己満足、社内満足に起因することがほとんどでしょう?
受注すればいつか売上が来るのはよく分かる。でも「注文書もらってきたか。よし、これで数字ができてくる」と言う上司の言葉はどこか違うような気がしてならない。「受注おめでとう。ちゃんと売り上げてお客さんにいっぱい使ってもらおうな!」でしょう、本来は。注文をもらうための商品なのか、お客さんを喜ばすための商品なのか勘違いしている発言ではないのかな。
きれいごとを言えない大人にはなりたくない
きれいごとじゃ生きていけなくても、きれいごとは口にしてこそ、きれいごと。
「お客様に使っていていただいて、喜んでもらうまで、がんばらせていただきます!」
こんな風に思うのは、今、白い巨塔を読んでいることが影響しているのかもしれない。理想の里見先生、現実の財前教授。