結婚するお年頃

金曜に今月結婚する友人と飲んで、「何で結婚を決めたのか」という問いをした。


もちろんそんなものに一つの答えなんてあるはずもなく、一人の人間としての意見として聞きたかっただけ。もちろん、できちゃったでも、計画的でも、なんとなく成り行きでも、お見合いでもなんでもありだとは思う。
なんでもありだ、とは思う。


それでも、結婚していない人が「思う」のと、実際に結婚するのでは大きな隔たりがあるように感じる。

純愛のススメ/転職のススメ - 2005/7/21 : ハーバード留学記

一生をともにしたい、そう思える人に若くして巡り会えて、結婚生活を送ることができるならば、それはこのうえない幸せだろう。結婚してしばらく経った今もなお、お互いに対してドキドキした気持ちを持って接しているような二人に会うと、見ているこちらも幸せな気持ちになる。



年を重ねる毎に、おのずと自分自身の世界観や、相手に求めるものも変わってくる。自分にとって大切なものは少しずつ変わっていくし、相手自身も少しずつ変わっていく。「はじめての相手」とは違う人と恋をしてみて、いかに自分が知った気になっていた異性や恋愛が、n=1というサンプル、小世界に基づいたものであり、独りよがりであったかに気がつく。



自分にとって年月を越えて大切なものは何か、答えを出すことは簡単ではない。会社でも結婚相手でも、そんな大切な問いに答えることがないまま、年月を重ねて行ってしまう人は少なくないように思う。誰しも、何かが違う、そう自分のなかで感じているに違いない。そんな心の声に忠実になることと、status quoを守ること、その狭間で自分なりの答えを出して生きていくのだろう。

結婚の理由は●●

友人は結婚の理由を「●●」と口にした。わたしは耳を疑った。予想していた答えは「なりゆき」とか「自然な流れ」とかだったからだ。「なりゆき」「自然な流れ」は誰もが口にするような言葉であるし、長く付き合ってきた人が良く使う言葉である。

しかし、彼は「●●」と言った。確かに似たような言葉ではあるけれど、その意味するところがものすごく深いところにあるような気がした。



その言葉が土曜日曜と気になって仕方がなく、辞書をひいた。
●●は一見否定的な言葉のように見えたんだけれど、じっくり考えると違うように見えてきた。
友人がどの程度この言葉を意識して使っているのかは分からないが、自らの意志で●●を選ぶってことはものすごく重要なことだ。
尊敬に値する。



そして、本人が覚えているのかはわからないがが、もう一つ付け加えた言葉にわたしはすごく重みを感じた。
「△△△△△△△△△△。」
 
その重みは積み重ねてきた年月があってからこそ言える言葉だったりするんだろう。
その言葉は基本的には後悔している時(negative)に使う言葉なのだけれども、彼はpojitiveな意味で使った。
否定文の肯定的な使い方の典型的な例だろう。わたしには決してまねできない。わたしにはまだ「思う」ことしかできないので、そんな言葉は使いようもない。

結婚する友人へ


●●であり続けて欲しい。そう切に願う。


その決断への尊敬の念とこれからを願って 
maki_lax 20070617