「昔○○だった」「身近に○○がいる」

これは結構難しい問題だ。犯罪にしても不良にしてもオウムにしてもだ。
このレッテルは基本的にはがすことが出来ない。そしてそのレッテルを判断するのは他人なのである。

最近話題になった松永氏の告白も大枠は同じ問題である。


松永英明さんへインタビュー ①: Grip Blog <Archives>

http://blog.a-utada.com/chikyu/2006/06/post_4d6d.html

http://kawakamihideaki.web.fc2.com/

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2006-06-04

http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/05/post.html

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404 Blog Not Found:Fatal Abstraction

何をもって白なのか黒なのか、脱会なのか脱会じゃないのか。何をもって罪は償ったと言えるのか。

何をもって脱会と言うのか。脱会したと言うこと以上に、以前○○だったというレッテルや、友人に○○がいると言うレッテルもある。この世はレッテルだらけなんだ。


レッテルとどのように付き合うのか。レッテルとどのように向き合うのか。
レッテルの大きさに違いこそはあれ、誰しもが通る道なのだ。

レッテルを利用するもしないも自分次第。一人の人間には数え切れないほどのレッテルが貼ってある。

さぁレッテル人生を生きてみようじゃないか。