容疑者Xの献身についてもう少し考えてみる

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ミステリマガジン 2006年 05月号 [雑誌]

ミステリマガジン 2006年 06月号 [雑誌]


ミステリマガジンの現代本格の行方を読了。約10名のミステリ論評とネット上の意見を読んだ。
この際、本格かどうかなんてどうでもいい。

百人の本格好きがいれば、百通りの本格の定義があるのだ。

これがすべてじゃないか。

メディアは怖い。

純愛と言う帯がついてしまったことを残念に思う。世界の中心で愛を叫ぶから続く純愛物にこの本をカテゴライズしてしまったことを。
キーワード「純愛」「直木賞」「本格ミステリ」この3つによって容疑者Xは売れに売れた。


しかし以前にも述べたようにこれは純愛じゃないだろ。
ストーカー容認、好きな人のためならば何をしても許される(許されるわけではない)。この本への賛辞の論が多いということは、これを世間が認めていると言うことなのか?


石神を客観的に見れば、ストーカー行為をしていた数学者。彼女の危機(と言うか犯罪)を巧みに利用して、お近づきになり、彼女を支配していく狂った愛の持ち主。彼女のためにどうこうではなく、自分自身のために犯罪を犯したのだ。純愛なんかじゃない、偏愛だよ。


この事件が実際に起こったらどうですか?
世間は認めるのでしょうか?同情を寄せるのでしょうか?
そんな馬鹿なことあるか!絶対に批判するはずだ。


世の中には誰かのために犯罪を犯す人なんていっぱいいるんですよ。そのためには手段を選ばない人だって。
メディアが犯罪の「誰かのために」という動機の部分をこれまで大きく取り上げてこなかったからこそ、
動機に純愛と言うフレーズを入れた容疑者Xの献身は売れた。


そこに「普段日常で起こっている殺人とは違う」という差異が生じたのです。
しかしその差異はなんでもない、ただ単にメディアが報道してこなかっただけのものなのです。


メディアによる世論の操作、もうただこれだけのことでしょう。
売れることへの操作は全然構わない、でも中身の感想についての操作はいかんのではないか。



純愛じゃないんだからね、みんな。

容疑者Xの献身
容疑者Xの献身
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東野 圭吾
文藝春秋 (2005/08/25)
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5 素晴らしい。一気読み&電車乗り過ごし
5 すごいよ東野!
5 内面にある行動の価値基準