凄い人、イチロー

(12)イチローの流儀: 石井晃のKGファイターズコラム「スタンドから」
例えば彼は、いつかアクシデントで眠れない日の来ることを想定して、前夜、わざと眠らないで試合に出たことがあるそうだ。まだメジャーに行くことも決まっていない1998年3月、熊本でのオープン戦である。「普段から意識していないことを突然やれと言われてもできない。だからやってみた」という。
 6年後の8月、ボルチモアで行われたオリオールズとのダブルヘッダー。彼は長時間の移動で体調を崩し、前夜は一睡もせずに試合に出た。結果は第1試合が5打数5安打。夕方からの第2試合は代打で出場してヒット。結局6打数6安打の固め打ちだった。6年前に予行演習をしていたから、一睡も出来ない不測の事態にも平静に対処し、試合で実力を発揮できたのである。
 こういう周到な準備が「イチローの流儀」である。彼は、自分の打撃感覚を確かめるために、日本のオールスター戦で、あえて試合前の打撃練習をせずに試合に出たこともある。メジャー2年目のオープン戦では、故意に2ストライクを取られて打者不利の状況を設定し、自分を試したこともあるそうだ。
 打席での儀式のようなしぐさも準備のひとつだし、試合前のキャッチボールも必ずシーズン前に決めた選手と行う。わずか数分のことだが、そこで肩の開きとか、グラブを出すタイミングとかをチェックし、体がきちんと動いているかどうかを確認するのである。たまたま手の空いた選手を相手にしているようでは、この微妙なチェックが出来ないから、必ず同じ相手と組んでおこなうのだという。

イチローの凄さは「準備」と言われることが多い。でも、一試合だけの準備なら誰にでもできる、ような気がする。


「この日に最高の結果を出すために準備をする」ということは、周到な計画(計画を立てるための想像力も)と実行が伴えば、小学生でもできるはずだ。高校受験しかり、大学受験しかり、だ。

「凄い人」の本当の定義は、決して一発屋ではなく、継続して結果を残せる人である。だからこそ、イチローは、「準備」よりも何よりも、「準備を継続できる」ことが凄いのだと思う。


今回のWBC2009でイチローは「心が折れかけて」も毎回同じ準備をしているのだ。

いや、違う。
毎回同じ準備をしても、結果がともなわなかったからこそ、「心が折れかけていた」という発言をしたのではないか。
イチローは、決してWBC決勝にパフォーマンスを発揮できるように調整したわけではない。最後に帳尻を合わせたわけではない。毎回同じ準備をしてきた結果がこれである、と思う。結果として、たまたま帳尻があったのだ。だからこそ、「僕は、もっていますね」だった。

http://www.sponichi.co.jp/baseball/flash/KFullFlash20090324110.html
 ――山あり谷ありの連覇だった。

 「(途中は)谷しかなかった。最後に山に登ることができてよかったですよ」

 ――見事な勝ち越し打。

 「僕は持ってますね。神が降りてきました」

当然のことながら、継続していたから、神が降りてきた。


・・・私の大学受験の時の標語は「継続は力なり」だった。忘れていた訳じゃない、立ち戻る訳じゃないけれど、小さなことから、継続を始めよう。継続できたら、凄い人になれるかもしれない。

イチローを見て、感動するだけじゃ足りない。感動して、インターネットで騒ぐだけじゃ足りない。感動して、実際に行動することが大事なんだ。