天才は冬に生まれるか、そして天才は数学者に多いのか
すごいよ東野!
内面にある行動の価値基準
いやはや、
人に解けない問題を作るのと、その問題を解くのとでは、どちらが難しいか
である。
ミステリマガジン、そしてネット上で問題となった「本格か否か」の論議。
東野圭吾先生、あなたはすぐそんなことばかりする。「ミステリの枠を広げた」なんてフレーズもありましたね。
東野作品とは、結局は解けない問題なんでしょう。賛辞ですか?
以下、ネタバレあり。
「石神が愛していたのは靖子ではなく、娘の美里」という仮説
結構まともな意見。それは違うんじゃないかなと思うけど。。
私は美里の自殺未遂の理由は、石神の自供によって「私たち親子はどうしようもない」という絶望感に襲われたものではないかと思う。少なからずとも靖子よりは石神に好意(というか父親としての信頼感のようなもの)を抱いていたはずであるわけで。
以下は本格かどうか論議
東野圭吾『容疑者Xの献身』ISBN:4163238603二階堂氏ごもっとも!とも思える。愛があるから鞭打つのか。。
直木賞受賞作。本格ミステリもしくはそれに近いものといって良いものである。うまくまとまってはいるが、少し物足りない気がする。その物足りなさについて探っていきたい。
taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 ? 勝者と敗者 ?東野圭吾「容疑者Xの献身」 / 笠井潔 in ミステリーズ! 15號
例えば笠井氏は「初心者向けの標準作」である「容疑者X」に対してベタ襃めしていた作家や評論家に対してなかなか厳しいことをいっているんで
論争のそもそもの発端だった、『容疑者Xの献身』が本格かどうかという問題については、二階堂黎人のサイト「二 階堂黎人の黒犬黒猫館」の掲示板における 巽昌章の書き込みや、《ミステリマガジン》2006年3月号に掲載された笠井潔の「『容疑者Xの献身』は難易度の低い本格である」の指摘によって、ほぼ決 着はついたと見ていいだろう。しかし、
『容疑者Xの献身』の表紙には、一輪の赤薔薇が描かれている。赤い薔薇の花言葉「愛情、熱烈な愛」を意識しての装幀であろうと推察する。この薔薇一輪に も表徴されるように、本書は多くの読者から「純愛」とみなされているようだ。そのことに対して、笠井潔は警鐘を鳴らし
『容疑者Xの献身』がベストセラーとなり、「本格ミステリ・ベスト10」の2006年度版でも堂々の一位を獲得した。この事態は、東野圭吾の作家的戦略の勝利と言えるが、
私自身の感想は、『容疑者Xの献身』は本格ではない。本格ミステリと言う読み方をできなかったからだ。
何が謎で何が謎ではないのか、という点はもちろん、どうやって湯川が謎を解くのか
「一緒に解いてやろう」という欲求を生む小説ではなかったからだ。そういう意味で東野圭吾先生の「本格に馴染みの無い人に本格の楽しさを」と言う目論見は外れたことになるであろう。小説としての楽しみしかなかったわけであるから。
大体、わたしが冷めているのかなんなのか、この小説からは純愛を感じない。東野マジックと純愛ブームに流されている人が多いのだ。
「石神よ、そんなものは純愛なんかじゃない!、人を殺して良いわけが無いだろうが!!!」と言いたいのです。
そしてこれを読んで泣ける人にも少し人間としての道徳観に異変を感じるのでした。
※参考
二階堂黎人の黒犬黒猫館