せかいのいろ

世界は何色に見えているのだろう - michikaifu’s diary

他人の感じ方は自分とは違う、というのは当たり前の話なのだが、これほどまでに根本的な感覚の部分から、人というのはそれぞれ違うものだ、ということを、つい忘れがちになる。特に、同じ日本人同士だと、つい同じように感じるはずだと思ってしまう。でも、アメリカ人と日本人ほどの違いでなくても、日本人同士でも他人ならば、個体が異なり環境が異なるのだから、感覚は少しずつ違っていると思ったほうが自然だ。「なぜ、こんな簡単なことがわからないのか!」と怒りそうになってしまったら、「この人の世界は、何色に見えているのだろうか」とちょっと考えてみることにしている。

この文章をそっくりそのまま読めば、書いてある通り当たり前のメッセージに聞こえはするのだけれど、シリコンバレーで物事を見ている海部さんが書くからこそ実感のこもったメッセージになる。価値観の違う場所に行き、なお、相手の価値観にあわせるのではなく、相手の価値観も自分の価値観も大事にして暮らしていく。そんな生き方を自分自身で選び抜いたからこそ、このメッセージが出てくるのだと思う。
Tech Momの過去のエントリーを思い返すと、同じようなメッセージに溢れていることに気がつく。パラダイス鎖国も、千賀さん梅田さんの時もこのメッセージは外していない。海部さんの凄いところの一つは、いとも簡単に(←そう見えているだけなのかもしれないが)価値観の違いを包含できるところなのかな、と思います。


脳を覗けない限り、わからない。けれど、違いを認めることはできる。海部さんのように「この人の世界は、何色に見えているのだろうか」を考えただけでは、人の気持ちを想像できないなら、本気でこの人を理解しよう!と思い、いろいろ考えて、それこそ全身全霊で体当たりしていくしかない。

私も含めて、そういう部分が足りない人が多いのかなぁ。異国の人でも、会社の人でも、友人でも恋人でも、目を見開いて向かっていけばなんとかなる。ありがちな「飛び込め」という結論になりがちだけど、行きつくところはそこかもしれないな、と思います。自戒を込めて。